続イラク便り



『イラクからの留学生』2006年1月

フセイン政権の崩壊後、日本とイラクの関係は色々な分野で緊密になりましたが、イラクでは厳しい治安情勢のため全土退避勧告が出ており、日本から訪問客を迎えることは難しい状況です。しかし、多くのイラク人が日本を研修やビジネスのために訪れており、日本を知るイラク人も着実に増えています。

1980年代前半頃までは、イラクで日本企業が活躍し、多くの日本人がイラクに駐在していました。その頃を思い出して、日本に好感を持つイラク人は多いのですが、今日の日本を本当の意味で知っているイラク人はとても少ないのが現状です。色々な形でイラク人に今の日本のありのままの姿を知ってもらいたい、と考えるところですが、長らく途絶えていたイラクからの留学生が2006年度から復活することになりました。


留学生の選考には長い時間がかかります。募集、書類選考、筆記試験、面接試験と長いプロセスを経て、大使館から日本の文部省に推薦し、その後も日本で選考のプロセスが続くのですが、まずは、イラク国内での話です。


高等教育省の推薦された人や直接申し込んできた人から書類選考でふるいをかけて、9人のイラク人が筆記試験に残りました。筆記試験は、英語と日本語のいわゆるマルチチョイス式のテストです。残念ながら日本語ができる応募者はバグダッドではおらず、英語の試験だけを行うにとどまりました。


真夏のとある日、受験者は医師、歯科医、歴史学、都市計画、石油化学の専門家など様々ですが、試験を前に全員さすがに緊張しています。ペーパーテストが終わった後は、リラックスしてもらって、日本に持つ印象などを話しあいました。日本に対する深い知識がある人はやはり少ないのですが、関心はとても強いのです。敗戦後の灰燼の中から日本は如何に復興してきたのか、イラクのためにもそんなところを知りたいという人もいました。選考を手伝ってもらったイラク人スタッフも『受験者はみんないい人だったので、みんな日本に行ってもらいたい』と言っていました。

英語の試験の成績は、正直なところあまり良いものではありませんでした。イラクは英語教育が充実しているとはいえないのに加え、自分で英語を勉強するのも教材などが不足しています。しかも、マルチチョイス式にも余り慣れていなかったようで、時間が足りないとこぼす受験者もいました。

 

後日、面接試験を経て、バグダッドの大使館から東京に推薦する留学生の候補が決まりました。彼は、日本企業が過去に建設し、日本からの援助で機材が整備されたティクリートの総合病院に勤務する内科医です。イラクの大学入試では医学部が一番難しいそうで(続イラク便り3をご覧ください)、英語で筆記試験をするとお医者さんの成績が良くなる傾向があります。彼は、日本イラク医学協会という日本のNGOの招待で2004年に日本を訪問し、各地で日本の医学生などと交流を深めました。その時の経験から日本に是非留学したいと思うようになったそうです。陸上自衛隊が復興支援活動を行い、外務省事務所もあるサマーワでも別途に留学生選考を行って、1名を推薦したのですが、その人も医師でした。


日本に推薦書類を送っているその間に、留学生候補は日本の大学からの受入れ許可を入手しなければなりません。晴れて日本で学べるようになるのは、2006年の春のことになります。再開第1号の留学生が日本で得た知識と経験を自国の発展に生かし、日本とイラクのかけはしになってもらえたら・・・。そう願わずにいられません。

 



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