奥克彦氏紹介


このコンテンツの目次

  • 奥克彦(おくかつひこ)
  • 追悼文
    • オックスフォードのビニール袋。
    • いまを生きる

奥克彦(おくかつひこ)

昭和33年兵庫県生まれ。早稲田大学を卒業後、昭和56年に外務省に入省。英国において研修し、イラン、米国での日本大使館勤務の他、国際経済第一課長、国連政策課長などを歴任した。平成15年4月に、在英国大使館参事官としての肩書きを有したまま、イラクに長期出張。イラクの復興に向け、取り組むこととなった。氏のイラク復興にかける強い使命感と情熱は、事件の直前まで書き続けていた『イラク便り』に如実に現れている。同年11月29日、イラクのティクリート付近で被弾し、逝去。大使に昇任。

氏はラグビーを深く愛していた。兵庫県立伊丹高校時代には全国大会出場を果たし、早稲田大学でもラグビー部に所属。留学先のオックスフォード大学では、日本人で初めてラグビー部の1軍選手となる。その後も日本ラグビー協会の役員となり、日本と世界のラグビー協会との橋渡しにも尽力した。

氏の愛したラグビーには「Noblesse oblige(ノーブレス・オブリージュ)」(責任ある立場に身を置いているからにはそれ相応の責務を果たさねばならない)、「one for all all for one」(一人は皆のために、皆は一人のために)という思想が貫かれている。イラク復興のために真っ先に現地に入った氏の行動はまさにラグビーによって培われたこれらの精神によるものと言える。

また、氏は人的ネットワーク構築にたいへん優れた人であった。氏の人脈の広さを示すエピソードは枚挙にいとまがない。イラクではたった数ヶ月の間に多くの友人を作り、イラク人はもちろん、英国人、米国人、オランダ人等、さまざまな国の人々から「一生涯の友」と慕われていたという。さらには、国会議員のラグビーチームの結成、国際試合の実現にも尽力していた。これも氏の人的ネットワークとラグビーを通した国際交流への熱い思いによって生まれたものと言えよう。

氏はまた、行動力に優れた人であった。“評論家であってはならない。現地を知ってこそ本当の外交ができる”という強い信念のもと、出張等で訪れた国は100ヶ国を超える。これは外交官としても異例の数だという。現地の意見を聞かず、机上の判断で評論ばかりする人には厳しい意見を述べていた。現地を知り、現地が何を求めており、それに対して自分は何ができるかを常に自らの頭で考えて、行動する人だった。

イラク復興に尽力する氏にとってその希望の糧となっていたのが、イラクの子どもたちの輝く目であった。イラク便りには「イラクの子供達のきらきらした目を見ていると、この国の将来はきっとうまく行く、と思えてきます。」とある。困難を充分に理解しながらも、イラクの子どもたちにかける希望をけっして捨てることはなかった。

年表
1958 1/3 昭和33年1月3日生まれ
1964   宝塚市立宝塚小学校入学
1970   宝塚市立宝塚中学校入学 野球部に入部 3年生のとき主将
1973   兵庫県立伊丹高校入学 ラグビー部に入部 2年生のとき花園出場 3年生のとき主将 全兵庫県選抜メンバー
1977   早稲田大学政治経済学部政治学科入学 ラグビー部に入部
1978   同ラグビー部を退部 早稲田大学理工学部ラグビー部に入部
1981   外務省入省
1982   オックスフォード大学ハートフォードカレッジへ留学 ラグビー部に所属
1983 2/26 バッキンガムのクラブチーム「Nuneaton」戦に出場 トライを決め21−19で勝利
  3/4 「The Rugby Football Club」戦に出場 2試合連続トライを奪い16−8で勝利
  3/6 恩師大西鐵之祐先生に手紙を書く 留学先での迷いを打ち明ける
  3/12 アイルランド遠征 ダブリン大他2チームと対戦
  4 日本ラグビーフットボール協会の機関誌「RUGBY FOOTBALL」に当時の「ナンバー」編集長が「オックスフォード大学日本人留学生歴史的トライ」と題する記事を寄稿
  7 「ラグビーマガジン」8月号に「日本人初の“ブルー”めざして」と題する署名記事が載る
1985   関東ラグビーフットボール協会ツアーコミッティ委員に就任し、以後も日英のラグビーの架け橋となる
1991   湾岸戦争時、在イラン大使館2等書記官として情報の収集にあたる
    その後、在米大使館1等書記官、総合外交政策局国連政策課長などを歴任
1996   日本ラグビーフットボール協会国際委員会委員就任
1998   「ラグビーマガジン」6月号に巻末インタビュー「ふたつの母校」が掲載される
1999   日本ラグビーフットボール協会総務委員会委員就任
2000 4/8 早稲田大学ラグビー部入部式で講演(新入生はのちの大田尾主将の学年)
2001   在英大使館参事官に就任
2002   日本ラグビーフットボール協会広報委員会委員就任(在外担当)
    全早大英国遠征中、清宮監督とともにスローガン「ULTIMATE CRUSH アルテメット・クラッシュ」を発案
2003 4 イラクに派遣 復興人道支援室(ORHA)

関連サイト
外務省 省員近思録 「イラク便り

ページトップへ