奥克彦氏紹介


このコンテンツの目次

  • 奥克彦(おくかつひこ)
  • 追悼文
    • オックスフォードのビニール袋。
    • いまを生きる

追悼文

オックスフォードのビニール袋。
追悼・奥克彦氏

藤島 大

かつてニューヨークのスポーツ・コラムニスト、レッド・スミスは、親愛なる同業者との別れを次のように書いた。

天国に召された彼のためではなく、残された我々のために悲しんでいるのだ。

そう。私たちも、また、奥克彦のいない世界を生きなくてはならない。ラグビーをとことん愛し、ラグビーに挑む若者を励まし、たぶんラグビーのように生きたかった男のいなくなった世界を。

太く快活な声、あらゆる距離を瞬く間に埋めるような行動力、染めたみたいな茶の髪の色、長い手足、若き日、遠くまで飛んだキック、まったく残念にも、なにもかもは、それさえ雑事に追われて薄れがちな記憶にしまわれるのだ。

「ビジョンを持て」

奥克彦はよく言った。早稲田ラグビーの後輩が英国留学を志す。誰もが「オックスフォード留学経験のある奥さんへ相談に行け」と助言する。多忙な外交官は快く時間を割く。耳を傾ける(後輩の話をよく聞く人だった)。そして志の淡さと浅さを簡単に見抜くや、目は笑いながらも少しだけ厳しい調子で言葉を投げる。

「本当に何を学び、何をしたいのか。ビジョンを持て」

そうして、最初から英語ができたわけではない中竹竜二や西岡晃洋(いずれも97年卒)が、それぞれレスターとオックスフォードの大学院へ入り、しっかり学問を卒えたら、「たいしたもんだ」とあっさりした感じで喜んだ。独断だが、両君には奥克彦の果たした後進への愛情と教育をいつまでも引き継ぐ使命がある。影響を与えられるべき者に存分に与え、ビジョンの獲得に手を差し伸べる使命が。

中竹主将と同期のFB、末松茂永が12月1日付の「東京新聞」夕刊社会面に、「奥さんとの出会いと思い出」を書いている。97年3月の全早稲田英国遠征、オックスフォードとの試合前日のミーティングで「一度しかない人生を賭けて戦う価値がある」と強調していたこと。試合後、朝まで語り明かしたこと。

末松記者も、卒業後、新聞社へ進む前に、いちど生命保険会社を辞し、ニュージーランドへ留学している。オークランドのクラブでプレーしてみて、あの晩の奥先輩の話が実感できた。オックスフォードでラグビー部に入ったら自然にこんな感情がわきあがった…という内容だった。

「早稲田代表としてこいつらに負けられるか」

オークランドの後輩も同じ気持ちだった。

末松記者は文末に記している。一緒に遠征をした同期が突然の悲報に電話で語った。

「奥さんをわずかな時間しか知らないけど、なぜだろう、忘れられないほど大きな存在なんだ」。そして、それは自分も同感なのだと。

本稿筆者もそうだ。奥克彦の早稲田現役の姿を知らない。のちに、筆者が大学ラグビー部コーチをしているころ知り合った。年次では下なのに、あえて敬称を略させてもらっているのは、どこかに「仲間」の甘えがあるからだ。実際には頼ってばかりのくせに、どうしても奥克彦は友人に思える。早稲田ラグビーの、いや、ラグビーの、いやラグビーの大義における友人…。しょっちゅう会えていたわけではない。「わずかな時間」の範疇だろう。しかし「大きな存在」だった。

四谷荒木町の小さな酒場で里芋と油揚げだけの素朴な鍋をつついた。新宿の小さなカウンターで「日本ラグビー」を語り合った。ことに深い意味のない幾つかの場面ばかりが浮かぶ。仲間との愉快な時間とはそういうものだ。

ひとつだけ忘れがたい思い出がある。

97年の全早稲田アイルランド/英国遠征、休暇で駆けつけた外交官はオックスフォードから自宅の愛妻へ携帯電話をかけた。「なにか、おみやげは」。そこは若き留学時代に新婚生活を過ごした懐かしい土地だ。「えっ」。要求はスーパーマーケットのビニール袋だった。「それでいいんだって」。奥克彦はとても嬉しそうだった。

(敬称略)


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