「ラグビーマガジン」6月号に巻末インタビュー「ふたつの母校」が掲載される
ふたつの母校
机の上だけの秀才とは違う。熱込めて球蹴り上げ、大男の襟ふんづかまえた本物のラグビーマンである。
兵庫県の進学校でラグビーに励み、花園へ出場した。早稲田大学では日本一をめざすラグビー部に入部。
有望な大型FBとして2年時のシーズンまで鍛えに鍛えられ、いったんは外交官試験に備えて楕円球から離れたが、見事に夢をかなえるや、研修留学先の英国オックスフォード大学で再び「文武両道」に挑戦。
各国代表のひしめく1軍入りを果たした。
「やっぱり勇気が必要じゃないですか。ラグビーというスポーツは。タックルはその典型だと思いますけど。
その意味では、たとえばオックスフォードの代表でラグビーを経験したということが、評価してもらえる面もあります。
あいつは戦闘行為に身を置いたことのある人間だと」
湾岸戦争の際にはテヘランの大使館で情報収集にあたった。ワシントン時代は経済協議の準備に奔走した。
先日の早稲田とオックスフォードの「ふたつの母校」の対戦には、ロンドンで開かれた「ASEM」(アジア欧州経済会議)を終えて政府専用機の着いた羽田から直行、後半の40分だけを観戦した。多忙である。
しかし、貴重な余暇を早稲田の英国遠征や海外から来日したチームの世話に費やすのをいとわない。
ラグビーの現場で、外交の最前線で、彼我の文化の差を実感できる立場にある。
「オックスフォードの強さは、すべてを自分で判断する、自分ですべてオーガナイズ(物事を推し進める)するところ。
僕のいたころは、ラグビーの技術なら早稲田のほうが上だった。パス。トライのとり方。守り方。
一応、花園に出て、県代表くらいに選ばれても、手取り足取り一から教育される。
だからオックスフォードでも試合に出られたんです。彼らは、そんなことはしない。
しかし、個々の人間をベースにした強さがある。いっぽうで早稲田の強さは、勝つための帰属意識にあると思う。
組織としての団結力というのか、いったんベースができれば、人が変わっても、勝ち続ける可能性がある」
――一般に、日本の大学生は彼らに比べて子供っぽいのでは。
「受験勉強の弊害かもしれません。僕らの世代は、勉強ができてスポーツもできるほうが格好いいって雰囲気はまだあった。
いまは、早くから二分化する傾向にある。スポーツする人はスポーツ。勉強する人はなんでもいいから勉強と。
ラグビーも、ますます勝てなくなっていくような気がします」
故大西鐵之祐氏(日本代表元監督、早稲田大学元名誉教授)は、生前、
「世の中の人は文武両道は無理だと言う。しかし、やれば、できるんだ」と、よく語った。その大西氏との縁も浅くはない。「偶然、大学の門のところで、見かけたんです」
念願の合格を遂げて卒業を控えた3月だった。グラウンドを離れていたから遠慮もあったが、意を決して声をかけてみた。
「外務省に入りました」。よし。そうか。オックスフォード行きが決まると、「ブーブバイヤーに紹介状を書こう」
’52年にオックスフォードの一員で来日したブライアン・ブーブバイヤー氏(CTB、イングランド代表9テスト)をたずねたら、1軍のセレクションの日程などを親身に教えてくれ、遠いはずの世界へ道が開ける。
最初の年、シーズン終盤の2月からWTBの位置を確保。のちのイングランド代表SOバーンズ、ワラビーズのCTBクロウ、FBにはアイルランドとライオンズのマクニールと並んだ豪華ラインの一角を成した。
2年目のシーズンは、勉学に公務に負担が強まり、惜しくもケンブリッジ戦出場こそ逃したが、伝統の濃紺のジャージィーに袖を通した経験は忘れ難い。
考えてみれば、学内に30を超すカレッジのチームでもレギュラーになれない者は少なくないのだ。
ところで、早稲田とオックスフォード、どちらを応援するもんですか。
「そりゃあ早稲田です」