早稲田大学ラグビー部入部式で講演
(新入生はのちの大田尾主将の学年)
[2000年4月8日 東伏見運動場内 校舎]

自分と異なるものと勝負していく人生はとてもおもしろい

説教めいたことはこのくらいにして、自分の仕事のことについて話そうと思います。我々は日本という島国に住んでいるし、世界の国となんとか一緒にやっていかないと生きていけない。そういうことを観点において……海外に行くだけがすべてじゃないけど……自分と違うもの、異なるものを受け入れて、文化とか宗教とか人種とかいろんな異なるもの、異なる人たちと、あえて言葉を使えば“勝負していく”、そういう人生っていうのは非常におもしろい。
 だからみんなのなかからも何人か、そういうところを目指してやってくれる人が出てきてくれることを僕はぜひ期待したい。それは日本の社会のためとか国家のためとかいう難しい話だけじゃなくて、自ら取り組んでいくことでやっぱりラグビーをやっていてよかった、そういうものを培ってきてよかったなということになると思う。

僕はラグビー部は中途半端な形でやめちゃって悶々としてたんだけれども、「これじゃダメだ。こんなことをしていると俺は人生の敗北者になってしまう」と思って、3年生の終わりくらいから、本当に死ぬ気で勉強した時期がありました。
 運が良かったということもあってなんとか試験に通って、オックスフォードに行った。そしてさっき言ったように大したことないなと思っていたら、すぐにレギュラーになれた。
 その後たまたま、当時出たばかりの「ナンバー」っていう雑誌で写真を撮っている早稲田の写真部OBの人に、朝、オックスフォードに行く道でばったり会った。「今日、試合があるんですよ」と言ったら、「じゃあ、写真撮ってあげる」と言われて撮ってもらった。そうしたらなんとそれが新聞か何かに載っちゃった。僕としては早稲田のラグビー部を途中でやめたっていうのもあったし、あんまりそういうことで目立つのは嫌だなという気持ちもあったけれど、結局、それが契機となっていろいろな人とお近づきになることもできました。

そういうことがあって、その後、仕事の方もいろいろとやらせてもらっています。自分のイメージの方が職場で固まっちゃったっていうこともあるんだけれども、「あいつにどんなことをやらせてみようか」と。
 当時は、役人は東大法学部でなきゃダメだと言われていた。僕は早稲田だから……政経学部は立派な学部かもしれないけれど……「なんだ、早稲田ですか」ということで、まったく相手にされていなかった。
 だけどたまたまラグビーのおかげで非常に目立って、「どんなことをやらせてみるか」ってことになって、ずいぶんいろんなことをやらせてもらった。サミットとか首脳会談で総理がしゃべる原稿を作るとか、あるいは英語の文章そのものを作るとか、あるいはそうですね……アフリカのモザンビークという国、当時はロンドンまで12時間かけて飛行機で行って、さらにロンドンから14時間かけてヨハネスブルグまで行って、さらにそこから南アフリカ航空に乗り換えて4時間かかった。そのモザンビークの山の中に行って、ゲリラにやられた鉄道の改修工事のプロジェクトを作る。そのプロジェクトにお金がいくらかかって、どこでやればゲリラが二度とやってこないかを考える。

あるいは、湾岸戦争のときにイランに勤務していた。僕は戦争はすぐには始まらないだろうと読んでいたんですけど、まったくの読み間違え。ある日、知人のイラン人の男がやってきて「たいへんなニュースがある」と言うんです。「イラクからたくさんの飛行機がイランに逃げてきている」と。「これは戦争が始まる兆候だ」と。
 これはビッグニュースだと思って、直ちに東京に報告して、その6時間後かなんかに戦争が始まった。彼と付き合っていたおかげで、僕が報告した話がいわば日本政府としてはアメリカよりも早く、戦争が始まるという状態にあることを知っていた。これは多少運があったということもあるだろうけど。
 あるいは、ワシントン勤務になって、ワシントンで前の橋本(龍太郎)総理、彼が通産大臣をやっていて河野(洋平)さんが外務大臣をやっているとき、日本とアメリカの経済交渉というのをやっていて、徹夜の協議を何度もやって文書を作るとか、合意を作るとか、そういうこともやらせてもらいました。

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