早稲田大学理工学部ラグビー部OB会
奥君と早稲田大学理工学部ラグビー部との関わり
奥君は2年生の時、外交官を目指すために早大ラグビー部で現役を続行することをあきらめました。その後外交官試験の受験勉強に邁進していましたが、ラグビーへの気持ちが捨てがたく、どこかでラグビーをしたいと思っていたようです。当時理工学部のラグビー部には奥君の伊丹高校でセンターのコンビを組んでいた森下君がいました。そういった縁もあり、また部員の中に他学部の学生もかなりいたこと、練習が夜間で受験勉強と両立できることなどの条件がそろっていたので彼が入部することになったのです。彼は当クラブでは飛び抜けた存在だったので、当然のごとく選手としてコーチとして大活躍しました。ただ、3年の公式戦で脳膜に血がたまる怪我をしてしまい、4年の公式戦には出られなかったのが残念でした。4年の時、我々は関東理工系リーグで準優勝だったのですが、彼がいたら優勝できたと思うと残念です。
今回、奥君の悲報を聞いて、我々同期がみな感じたことは「またか」ということでした。実は我々は7年前、やはり同期の岡島君をカンボジアの内乱で失っているのです。岡島君はODAでカンボジアに派遣されており、カンボジアの人たちのために橋梁建設に携わっていましたが、プノンペンの戦闘でロケット弾の直撃を受け亡くなってしまいました。このとき、日本への遺体の移送、遺児の育英基金の創設に尽力してくれたのが、奥君でした。その奥君を今度はイラクで失うとは、何という運命なのでしょうか。言葉が見つかりません。
今回、奥・井ノ上イラク子ども基金の話を伺い、わずかでも奥君の遺志に協力出来る場を与えられ大変感謝しております。微力ですが、理工学部ラグビー部OB会として精一杯協力させて頂きます。